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2017/05/31

製造業集まれ! iStome2(アイストーム)ブログ、ジャパンのパンは、いつから!?編

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あなたの朝食はパン? それともごはん? いくつかのアンケート調査を見比べましたが、ほぼ互角の戦いを繰り広げています。皆さんの身のまわりでも、意見が分かれるところでは?

すっかり日本の食文化になじんだはずのパンですが、意外なところで世間をにぎわせました。この春、小学校を対象とした道徳の教科書が初めて検定の対象となり、掲載予定だった「パン屋さん」が「和菓子屋さん」にあらためられたのです。

これには賛否両論あるようですが、そもそもパンは、いつから日本で食べられているのでしょう。調べてみると、大げさに言えば驚愕の真実(どないやねん!)が判明しました。

西洋生まれのパンが日本へやってきたのは、なんと安土桃山時代(15731603)。織田信長と豊臣秀吉が政権を握っていた時代に、ポルトガルの宣教師によって伝えられたとされています。時代劇では観たことがありませんが、チョンマゲ頭でパンをくわえているお侍さんがいたのかもしれません(笑)。

そこからパンパカパーンとパン食が広まった、というわけではなく、ムーブメントは起きずじまい。しかも天正15年(1587)には豊臣秀吉の伴天連(バテレン)追放令ですっかり姿を消してしまったのでした。ところが・・・。

やがて世界情勢が危うくなり、日本で国防意識が高まると、米飯より腐りにくい乾パンを兵糧に使う動きが出てきます。天保13年(1842)には、伊豆・韮山の代官である江川英龍(坦庵/たんなん)がその動きを加速させ、自身も邸内にオランダ式の窯を築いてパンづくりを研究したとか。

アメリカやロシアが艦隊を率いて開国を迫るようになると、さらに兵糧用パンのニーズが高まり、保存食・非常食としても注目を浴びて、韮山から全国へ広まっていったそうです。トーストと珈琲と言えば穏やかな日常の代名詞のようですが、パンが日本文化に浸透していった背景に戦争の影響があったとは皮肉ですね。

日本にパンを定着させた坦庵の功績を称え、韮山では毎年1月に「パン祖」のパン祭りを開催。全国有名店のパン販売会から巨大なパンオブジェの展示、パンフィッシング、パン堀ゲーム、パンde神経衰弱など、よくわからないけど面白そうな(笑)催し物が盛りだくさんです。

そう言えば近年、高級食パン専門店が人気を集めています。これを機に、パンの魅力を見直してみてはいかがでしょう? お気に入りの逸品に出逢えるかもしれませんよ!

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iStome2ブログジャパンのパンは、いつから!?。いかがでしたか? 皆さまからのご意見・ご感想などお寄せいただければ幸いです!!

(コピーライター:森原英壽)

 

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